子どもが育つ大人も育つ【幼児教育のたね】

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モンテッソーリ教育の母ーマリア・モンテッソーリ

モンテッソーリ教育の提唱者、マリア・モンテッソーリは、1870年(明治3年)8月31日にイタリアで生まれました。教育者として名を残していますが、出発点は「医師」です。イタリアの名門の医学部を優秀な成績で卒業した、女性としては初めての医者でした。

医師の目を以て子供達を科学的に観察する

モンテッソーリは、医師の通常行っている方法で子どもたちを観察しました。
その方法とは、患者を診察・検査をし出たデータに基づいて病気を特定、その病気を治すために最適の治療を施す、というものです。彼女は、「まだ小さいから○○するのは無理だ」などという大人の一方的な先入観や思い込みではなく、科学的に子どもを観察した上で、現状の子どもの課題点を考察・見出し最善な処方を試みる、という方法を取りました。

出発点は、精神病院の発達障がい児から

マリア・モンテッソーリが精神病院を訪れた時、そこでは発達障がい児の子どもたちが一部屋にまとめられて生活していました。監守がいつも目を光らせながら子どもたちが逃げ出さないように見張っていました。その監守の態度は子どもたちに対する嫌悪感でいっぱいの表情でした。監守は、「子どもたちは、食事の後床に落ちたパンくずを拾いあさるんだ」と、子どもたちが犬や猫と同等と言わんばかりの口ぶりで言いました。

モンテッソーリが部屋を見回すと、その部屋は子どもたちが手に取って遊べるようなおもちゃは一つもありませんでした。そのとき彼女は直感的に「食欲を満たすために食べ物をあさっているのではなく、手を使ってものをつまむ、という感覚的な作業を通して本能的に満足感を求めているのではないか」と考えたのです。

医療と教育を合体させた療育へ

精神病院を視察したときのできごとをきっかけとして、モンテッソーリは発達障がい児の治療のひとつに「腕を伸ばす・つまむ・運ぶ」などのような動きを伴った活動ができるような道具を使い始めました。これが、モンテッソーリ教育の教具のはじまりであり、その後発達障がい児に対し医療と教育が合体した「療育」へと発展していきました。

発達障がい児から健常児へ

発達障がい児と出会うことによって、モンテッソーリは次第に医療から教育へと重きを変えていきました。
教育をしても無駄と思われていた子どもたちが字を読めるようになったり書ける子が出てくるなど、モンテッソーリの発達障がい児への試みはとても大きな成果をあげたことで、彼女は「健常児にも同様に教育すれば、きっと子どもたちの成長にも更によい効果を発揮するだろう」と確信するようになったのです。

その後、「子どもの家」という施設が誕生するに至ります。

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